2010年1月21日木曜日

倭寇の定義と出現


「倭寇」と言うのはなんだか。

英語の「pirates」と言う単語は日本語に翻訳したいと、「海賊」と言う単語を使える。そして、パイレーツと言う単語も使われていることがある。しかし辞書を引くと、「倭寇」と言う単語もある。この単語の意味を調べると「japanese pirates」と言われている。「倭寇」と言う人は他の人を攻撃したり、略奪したりする日本人だった。つまり、倭寇は日本の海賊だったが、日本の港も韓国の港も中国の港も略奪した。だが実はこの定義があまりによくないだと思もう。

昔から瀬戸内海ではいろんな集団が攻撃したり略奪したりした。だいたい十一世紀からこの集団は「海賊」と言われるようになって、だんだん日本の行政にとって問題になってきた。時々いろんな武士が海賊を戦って、政府に助けて差し上げた。とくに、平氏が海賊を戦って自分の勢力を増した。

「倭寇」と言う名称は初めて五世紀に韓国の年代記に現れてきて、海賊と関係がなかった。当時韓国半島には三つの王国があって、この王国は(新羅、百済、高句麗)戦争中だった。その時、百済王国は大和国と同盟したので, 大和は韓国半島へ自分の兵隊を派遣して、百済を助けてあげたことがあった。日本から韓国半島に来た武士は「倭寇」いわば倭国から来た武士と言われた。

しかし、十三世紀に「倭寇」と言う言葉の意味が変わった。そのときから攻撃したり略奪したりする人を指示するようになった。この名称が日本でも韓国でも中国でも使われて、発音は国によって違ったのに、おなじ漢字で書かれた。「倭寇」と言う言葉は東にある国から来たパイレーツの意味があったが、実は倭寇の集団の間に日本人はよく少数だった。たとえば十六世紀の中国の年代記によると倭寇の間に日本人の割合は30%だけで、70%は中国人と韓国人だった。中国人と韓国人が倭寇は日本人だけでなくいろいろな国の人々を包含するということを知っていたが、それにもかかわらずこの名称が使われた。

なぜ倭寇が出現したか。

倭寇はおもに貧乏な地域に生活する人だった。だからその地域に作物は少なくて、飢饉もいろんな天災もあった時そこで生活した住民は略奪することにきめるようになった。たとえば、十三世紀のはじめに倭寇の攻撃はいつも天災の後で行った。そして、この世紀には韓国と中国がモンゴル人を戦った。だから、韓国の南分には軍隊が少なかったので、韓国の港を攻撃することはとても容易だった。そして、鎌倉幕府の勢力は日本の西南分にあまり強くなかったので、倭寇が出現することに邪魔がなかった。

瀬戸内海 - The Inland Sea of Japan - Morze Wewnetrzne
平氏 - The Taira - ród Taira
新羅 - Silla
百済 - Paekche
高句麗 - Koguryo
飢饉 - famine - głód
天災 - natural disaster - klęska żywiołowa

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