プシェメックさんのご質問にお答えします。1…倭寇がどんな性質の集団だったのか、どんな社会的背景で生まれたのか、これがわかれば色々な理由も見えてくると思います。ですが、理由について意見を言えるぐらい、詳しい背景を知らないもので…。すみません。2…倭寇にどう対応すればよかったか、ということですよね?それぞれの立場によって一番いい対応は違ってきますよね…。3…個人的にはpiratesと言われると、倭寇のイメージが変わるような気がします。韓国、中国の人がいたなら、Japaneseも合いませんよね…。倭寇=Japanese piratesは定着しているのでしょうか?他の訳はありませんか?上手に答えられなくて、本当にごめんなさい。
知っている範囲にお答えさせていただきます。「倭寇」とは一般的に13世紀~16世紀にかけて、朝鮮半島及び中国大陸沿岸の海域にて活動していた海賊のことです。倭寇の活動が最も盛んであった時期は、その勢力は東アジアの国々まで及んでいたそうです。勿論中国の内陸まで侵していました。 倭寇の中身は、日本人だけではありません。にもかかわらず「倭寇」と呼ばれています。理由は、倭寇の最初のメンバーは、日本からやってきた海賊だからです。 中国古代では日本を「倭」と呼んでいました。これは『山海経』『後漢書』などの文献に記載されております。「寇」とは「強盗」の意味です。倭寇は勿論日本の海賊という意味ですが、実は、倭寇の活動はいくつかの時期に分けられることができるそうで、後期になると、日本国内の政治変動、政府の管制により、日本人の海賊による略奪事件は随分減ってきたそうです。その代わりに、中国・朝鮮半島からの人が海賊になり、前期の「倭寇」の略奪方式に従い、その活動を続けていたそうです。従って、彼らのことも「倭寇」と呼ばれていたのです。 倭寇の最も盛んだった時期は、中国の明の時代でした。でも倭寇という言葉は最初に出現したのは、「高句麗好太王」という碑文にありました。この碑文は現在中国吉林省集安県にあります。紀元404年のことだっとと思いますが。日本学者である田中健夫により、考証されていたようです。(『倭寇ー海の歴史』をご参照) ちなみに中国では、倭寇という言葉の使用は、『明太祖実録』という本に初めて使われていました。でも倭寇による奪略は、明の時代からのではなく、その前の元朝にもありました。『元史・兵制二』をご参照ください。 倭寇の出現は、日本の武士階層に深く関わっているようです。日本人学者の井上清は、『日本の歴史』という本に「殺人、強盗は、武士の習性である」と述べています。13世紀に、日本国内では、南北朝対立と戦国時代などの内戦により、多くの武士が領地を失い、浪人となってしまいました。彼らは最初の倭寇となり、海外への奪略を始めたのだそうです。日本沿岸の大名ら(例えば:大内、細川)にも、利益を貰えることで、倭寇の活動を支持しました。中国国内には、倭寇と一緒になり、一般庶民への奪略をした役人の少なくなかったそうです。 ということで、私見では、倭寇という現象は、民族間、あるいは国と国での戦いではなく、ただの海賊の一時的な氾濫にすぎないと思っております。 倭寇について、ほんのわずかのことしか知りませんが、すばらしい論文を書いてぜひいろいろと教えてください。
みんなさんのコメントはありがとうございます。ishii さんのコメントにお答えします。「倭寇」の翻訳をしかたは倭寇の間には日本人も中国人も韓国人まいたので「japanese pirates」の翻訳を変わりに「pirates of the far east」の翻訳を使ったほうがいいだと思います。
プシェメックさんのご質問にお答えします。
返信削除1…倭寇がどんな性質の集団だったのか、どんな社会的背景で生まれたのか、これがわかれば色々な理由も見えてくると思います。ですが、理由について意見を言えるぐらい、詳しい背景を知らないもので…。すみません。
2…倭寇にどう対応すればよかったか、ということですよね?それぞれの立場によって一番いい対応は違ってきますよね…。
3…個人的にはpiratesと言われると、倭寇のイメージが変わるような気がします。韓国、中国の人がいたなら、Japaneseも合いませんよね…。
倭寇=Japanese piratesは定着しているのでしょうか?他の訳はありませんか?
上手に答えられなくて、本当にごめんなさい。
知っている範囲にお答えさせていただきます。
返信削除「倭寇」とは一般的に13世紀~16世紀にかけて、朝鮮半島及び中国大陸沿岸の海域にて活動していた海賊のことです。倭寇の活動が最も盛んであった時期は、その勢力は東アジアの国々まで及んでいたそうです。勿論中国の内陸まで侵していました。
倭寇の中身は、日本人だけではありません。にもかかわらず「倭寇」と呼ばれています。理由は、倭寇の最初のメンバーは、日本からやってきた海賊だからです。
中国古代では日本を「倭」と呼んでいました。これは『山海経』『後漢書』などの文献に記載されております。「寇」とは「強盗」の意味です。倭寇は勿論日本の海賊という意味ですが、実は、倭寇の活動はいくつかの時期に分けられることができるそうで、後期になると、日本国内の政治変動、政府の管制により、日本人の海賊による略奪事件は随分減ってきたそうです。その代わりに、中国・朝鮮半島からの人が海賊になり、前期の「倭寇」の略奪方式に従い、その活動を続けていたそうです。従って、彼らのことも「倭寇」と呼ばれていたのです。
倭寇の最も盛んだった時期は、中国の明の時代でした。でも倭寇という言葉は最初に出現したのは、「高句麗好太王」という碑文にありました。この碑文は現在中国吉林省集安県にあります。紀元404年のことだっとと思いますが。日本学者である田中健夫により、考証されていたようです。(『倭寇ー海の歴史』をご参照)
ちなみに中国では、倭寇という言葉の使用は、『明太祖実録』という本に初めて使われていました。でも倭寇による奪略は、明の時代からのではなく、その前の元朝にもありました。『元史・兵制二』をご参照ください。
倭寇の出現は、日本の武士階層に深く関わっているようです。日本人学者の井上清は、『日本の歴史』という本に「殺人、強盗は、武士の習性である」と述べています。13世紀に、日本国内では、南北朝対立と戦国時代などの内戦により、多くの武士が領地を失い、浪人となってしまいました。彼らは最初の倭寇となり、海外への奪略を始めたのだそうです。日本沿岸の大名ら(例えば:大内、細川)にも、利益を貰えることで、倭寇の活動を支持しました。中国国内には、倭寇と一緒になり、一般庶民への奪略をした役人の少なくなかったそうです。
ということで、私見では、倭寇という現象は、民族間、あるいは国と国での戦いではなく、ただの海賊の一時的な氾濫にすぎないと思っております。
倭寇について、ほんのわずかのことしか知りませんが、すばらしい論文を書いてぜひいろいろと教えてください。
みんなさんのコメントはありがとうございます。
返信削除ishii さんのコメントにお答えします。
「倭寇」の翻訳をしかたは倭寇の間には日本人も中国人も韓国人まいたので「japanese pirates」の翻訳を変わりに「pirates of the far east」の翻訳を使ったほうがいいだと思います。