2010年1月21日木曜日

倭寇の活動の範囲と貿易と外交に関する倭寇の問題

倭寇の活動の範囲



倭寇が最初韓国の港と日本の港を攻撃したが、14世紀の半ばから中国の港も攻撃するようになった。琉球列島にある港も略奪したが、そこの港は倭寇の間にそんなに人気がなかった。16世紀のすえに倭寇は韓国半島からマカオにいたるまで、略奪した。


貿易と外交に関する倭寇の問題

倭寇の活動の中心は必要な品物を得ることだった。最初これは天災に原因があった非合法な行動だったが、次の世紀には貿易制限も倭寇の活動に影響した。

倭寇の攻撃が始まったのは韓国がモンゴル人と戦争していた中国を助けた時だった。韓国の南分には軍隊は少なかったのに韓国の住民は強い抵抗して、倭寇が港を攻撃することを妨げていた。モンゴル人が韓国半島に入ったあとで、倭寇の攻撃が増えてきたが、モンゴルの元朝が自分の勢力を韓国に拡大したあとで、攻撃はどんどん減てきた。なぜなら倭寇がモンゴルの反撃をとても怖がれたからです。モンゴル人は日本を侵略してみた時、倭寇が侍といっしょに侵略者を戦っていた。しかし、元朝の勢力が衰えたと攻撃がもう一度増えてきた。1350年からどんどん増えて、14世紀の末には(明朝の時)倭寇が韓国にとって深刻な問題になったので、大勢の倭寇が住んでいた対馬が韓国の軍隊に攻撃された。対馬人が勝ったが、韓国人の攻撃が対馬を支配したそうさだもり宗貞盛を心配しました。だから、宗貞盛は倭寇の活動を静めて、外交的手段によって日本と韓国の貿易を始めた。宗貞盛のおかげで日本は韓国に制限の少ない貿易特権をもらったので、
15世紀の末まで韓国の海岸には倭寇がほぼ見られませんでした。しかし、足利幕府の勢力が衰えるとともに倭寇の活動がだんだん増えていった。とくに戦国時代にいろんな大名が自分の財政の状態を良くするために倭寇のような活動に向いた。そこで韓国は貿易を止めることにした。

1358年に元朝は滅びて、明朝の治世が始まった。日本には足利幕府の時代になった。足利義満にとって海外貿易は非常に大切なことで、中国と貿易し始めることがほしかったですが、最初に明朝に臣従を誓わなければならなかった。足利義満は臣従を誓約したあとで、明朝はまさに日本との貿易をみとめたが、自由貿易ではなっかった。中国と貿易ができた日本人は少なかった。そしてこの特権をもらえなかった人は倭寇に向いて、倭寇の活動はだんだん増えていった。それだから中国の政府は日本との貿易を禁じて、日本との外交関係をやめた。そこで倭寇がさらに増えていった。15世紀と16世紀、貿易規制はすこし撤廃されましたが、すぐに前の状態に戻りました。




琉球 - Ryukyu(Okinawa)
妨げる ー disturb, prevent - utrudniać
拡大 - expansion - ekspansja
反撃 - counterattack - kontratak

衰える - decline - upadać
宗貞盛 - So Sadamori

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